あかり接骨院院長石川の自己紹介

こんにちは!
脊柱管狭窄症の痺れ、痛み改善をする、あかり接骨院院長の石川明人(いしかわ あきと)
です。
この業界に入って25年になります。

 

・20歳に柔道整復師の専門学校に入学し、25歳で柔道整復師の国家資格取得

・23歳で柔道整復師教員養成専門学校に入学し、28歳で柔道整復師の教員免許取得

・30歳でゆがみ取り施術セラピストの資格取得

・32歳でゆがみ取り施術セラピスト認定講師資格取得

・腰痛(脊柱管狭窄症・腰椎椎間板ヘルニア)など難治性の腰痛専門の治療家になって15年

 

【出身地】

茨城県水戸市

偕楽園が近くにあります。帰省すると偕楽園近くの千波湖という湖へ娘と必ず行きますが、子供が喜ぶのでお子様連れで遊ぶのにめちゃくちゃおすすめです!

↓千波湖にある黄門さまの記念ショット

【性格】

・よく話すので、集まる席によく誘われます。

・物事は形から入るタイプで、宝の持ち腐れになることがたまーにあります。

【悩み】

・ネガティブで慎重すぎてチャンスを逃すことがよくあります。恥ずかしい話、結婚をなかなか決めることができず、妻から猛烈強引にアタックされて決めたという流れになりました。

・中年太りで痩せにくくなったことといいつつ、甘いものが大好きでやめられない自分もいます。

 

現在、千葉県船橋市の二和向台という地域で、難治性の腰痛(脊柱管狭窄症・腰椎椎間板ヘルニア)の方に特化した接骨院をしています。

僕が現在の仕事をしているきっかけは、僕の出身地である水戸市にある140年続く歴史ある接骨院に、子供の時に毎日のように遊びに行っていたことが影響しています。

この接骨院の先生は、現在は81歳になりましたが、今でも現役で施術をしています。

怪我だけじゃなく、いろんな病気の方も来てしまうような接骨院で、元気のない患者さんを帰りには笑顔で帰してしまうような先生に、子供ながらに驚いていました。

そんな先生が身近にいたことから、僕もそんな先生になりたいと19歳の時に思い描きました。

そして今こうして、船橋の二和の地域で開業させていただいております。

 

自然豊かな地域で、人は明るく、人情深い方が多く、大好きな街です。

 

ここからは簡単に、なぜ僕がこの職業に就いたのか、幼少期のころからご紹介させていただきます。

こんな子供でした

僕は3兄弟の次男坊で生まれ、一番やんちゃな子でした。常に走り回ってはしゃいでいたいので、母には怒られまくっていました。

なんでこんなに怒られるんだろうと、子供ながらに不思議で仕方がありませんでしたが、それだけやんちゃだったんですね。

自転車を飛ばしてすっ転んで、鼻の骨を折ったとか、顎を打って歯が折れたとか、泥にハマったとか、怒られるようなことを散々していた子供時代でした。

僕がこの世界に入ったきっかけになった接骨院へなぜ遊びに行っていたか

接骨院の息子が僕と同じ小学校のクラスメイトで仲が良かったからです。

先に書きましたように、僕は家にいると母に怒られることが多かったので、(というのは半分冗談ですが、)毎日その友達の家に遊びに行っていました。

その接骨院は、自宅兼接骨院だったので、
接骨院の中でもよく遊んでいました。

おばちゃん(接骨院の先生)は、81歳の今でも昔と変わらない情熱で施術をしています。

帰省のたびに挨拶に行くと、変わらない元気な姿に、尊敬しかありません。

↓僕が通った接骨院の先生(おばちゃん)

そんな接骨院の居心地が良くて、毎日なんとなく遊びに行っていました。接骨院の手伝いも好奇心でしていました。

今思えば、この幼少期の生活が僕自身に大きく影響しました。

でもこの当時は、この仕事に就きたいとは考えていませんでした。

学生の時

地元の小学校へ入学

恥ずかしがりの性格でしたが、僕の行動を笑われたことをきっかけに吹っ切れて、そこから面白いことをするようになりました。

小学4年から高校までバスケットボールをしていました。

 

中学

地元の中学に入り、中学になってもバスケ部に入部しました。

とにかくバスケが楽しくて仕方がない時期でした。

怪我も多いので、接骨院にも行きまくっていました。

高校

中学の大会で、高校からスカウトをいただき、

バスケの特待生として水戸短大付属高校に入学できました。

学費免除で親孝行できた!というのと、

勉強しないで学校に行ける!という単細胞なやつでした。

バスケットボールは今でも好きですが、
高校のインターハイで負けたことで燃え尽きて、大学でやろうとは思えずやめました。

 

浪人生

大学進学を目指しましたが、失敗をし浪人生活です。正直、何者でもない状態に、とても辛い時期でした。。。

その間、僕は予備校に通いながら、その接骨院の手伝いやミニバスチームのコーチをしていました。

手伝いをしながら、僕は『この仕事をしたいな』と思いました。

ここから柔道整復師の資格取得の道へとつながりました。

 

柔道整復師の専門学校時代

浪人時代の経験をきっかけに、柔道整復師になるための専門学校に入りました。水戸の接骨院の先生に紹介をしてもらった先生のところで丁稚奉公をすることになりました。

19歳で上京しました。

↓上京前に3兄弟で撮りました。

昼間は整骨院で働き、夜は専門学校へ通いました。

↑師匠です。

滅多に笑顔が見られませんでしたが本当に頭が良くすごい師匠でした。

 

丁稚奉公先の先生は、怪我を治すスペシャリストの先生で、腕が良く、患者さんがひっきりなしに来ていました。

師匠の技術は本当に素晴らしく、でもとても厳しく、技術面でも人生面でもとても勉強になりました。

そのおかげで、国家資格も無事取得でき、骨接ぎができるようになりました。師匠ありがとうございました。

 

教員免許の専門学校時代

資格取得後も、引き続き丁稚奉公をしながら仕事を続けました。

方を学んだおかげで、無事に試験に合格できました。

 

学生が終わって

免許を取得後も引き続き師匠の元で勉強をし、合計で5年間修行させていただきました。

ここで覚えたことは今でも忘れていません。師匠はすごい人でした。今でも尊敬している人の1人です。

1番の思い出は、資格取得後すぐに、脱臼の整復(脱臼した骨を元の位置に戻す)をしたことです。いきなり唐突でしたが、なんとか無事に整復できました。終わった後は汗でびしょ濡れでした。

当時の動画があります。記念に師匠が撮ってくれたものです。⇨動画はこちらです。

 

整形外科に転職

その後、怪我の患者さんを治療の勉強をしたいと思い、埼玉の所沢にある整形外科に転職をしました。

そこで約4年ほど経験を積みました。

この時師匠からの勧めで、師匠の背中を追いかける目的で柔道整復師の教員免許を取得しました。

来院患者さんの人数が接骨院と圧倒的に違いました。外傷の方の治療の手伝いがたくさんでき、めちゃくちゃ勉強できました。修行してきたことがほぼ生かされ、師匠の元で勉強できたことの大きさを実感することができ、感謝の気持ちが止まりませんでした。

 

チェーン店の整骨院に転職

約10年間怪我の治療の勉強、経験を積んだことをバネに、自分で開業したいと思うようになりました。

その前に、経営についての勉強が全く足りていなかったので、チェーン店の整骨院へマネージメント勉強のために転職をし2年間働きました。

スタッフの管理など、人とのやりとりの難しさを感じた2年間でした。人間関係をうまくするって大変だって思いました。そういった面を学んだ時代でした。

 

開業の転機が訪れた

色々知識をつけたタイミングで、専門学校の時の友人から、『整骨院をやってみないか』という話をいただきました。

絶好のタイミングだったことから、友人の力を借りながら、いきなりの開業スタートとなりました。

友人はすでに開業をしており、その2店舗目という形で僕に任せてくれたのですが、そこのスタッフさんが応援に来てくれたり、困った時も助けてくれたり非常にありがたい環境でした。

 

2014年

チェーン店の整骨院で知り合った現在の妻と結婚!

僕の性格上、恋愛の口下手、慎重・石橋を叩きすぎるといったことで、なかなか結婚する気持ちになれなかった僕です。お互い30代半ばに差し掛かろうとしている時でしたが、あかり接骨院を立ち上げたばかりということがあり、なかなか決断ができないでいました。

妻から、もう私はギリギリだよ!!無理なら他の人探すから決めて!!と半ば強引にアプローチされ決断しました。

決断ができない時に、プッシュしてくれる妻がいるので、今でもその力を借りながら進んでいる部分があります。感謝しています。

 

2019年 心機一転完全予約制の接骨院へ

保険診療の接骨院運営に限界を感じて、現在の完全予約制の腰痛専門接骨院へ変更をしました。

 

腰痛専門接骨院をしている理由

僕は20歳から怪我を治す専門の整骨院で修行をしてきたので、怪我を治すことだけに経験を積み、勉強をしてきました。

 

なのでお恥ずかしい話、腰痛とか肩こりを治す術がマッサージ以外なかったです。

この状態で接骨院を開業してしまったのです。これが2014年の話です。

いざ開業すると、怪我の患者さんはほとんど来ません。

来院される方の症状は、肩こり、五十肩、そして、腰痛、膝痛です。

この中で特に多いのが腰痛でした。

 

ぎっくり腰で辛い状態になってこられる方や脊柱管狭窄症とか重い診断名がついてこられる方が本当に多いのです。

そしてマッサージしか知らない僕は、腰痛を治せないことに気づいたのです。

これはまずい…

頭を抱え込んだ時期でした。

 

僕を変えてくれた師匠であるドクターとの出会い

そんな時に奇跡の出会いが訪れました。 現在僕が取り入れている施術を考案したドクターとの出会いです。

鹿島田先生です。

鹿島田先生は専門学校時代の講師をされていたので、先生と生徒の関係性なだけで知ってはいたのですが、それ以外接点はありませんでした。

 

ところが、そんな困っていたちょうどいいタイミングで、鹿島田先生が、ゆがみ取り施術のセミナーを開くという話が舞い込んできたのです。

 

藁にもすがる思い出参加をしました。

 

ちょうど僕自身、腰痛が会ったこともあり、絶好のタイミングでした。

 

施術を受けた瞬間、気持ちがいいというかなんとも今まで味わったことのない施術で、衝撃を受けました。

 

この日からこの施術に虜になった僕は、慢性症状のための治療法を身に付けることが出来ました。

そのおかげで、腰痛をしっかり改善できる対応ができるようになり、

■先生のおかげで仕事が続けられています。
■先生のおかげで大好きなダンスが出来ています。
■ここで治療したことで長時間歩けるようになりました。
■脚の痺れや痛みが6ヶ月で軽快してきました。
■手術が回避できました!もっと早く出会いたかったー。

などなど、嬉しいお声をたくさんいただくようになりました。

 

紆余曲折しながらここまで辿り着きました。

現在は、鹿島田先生の勉強会に参加をし、技術アップと医学知識の勉強を日々重ねております。

鹿島田先生は2021年にゆがみ取りの教科書の新刊を出されました。僕も術者として出演をさせていただきました。

この教科書は基本から深い医学知識までわかりやすく解説されているので、手放せません。

最後に僕の理念です。


僕の【理念】と施術に対する想い

・どこの病院や接骨院、治療院に行っても治らない難治性の腰痛の方の悩みを吹き飛ばすこと。
・自分でも腰痛を解消できるようになる人を増やすこと。

この2つです。

僕自身、過去に何度もこの腰痛を自分で治せないかなと思ったことがあります。なぜなら、腰痛になった時、治療院にいくという事自体、しんどかった。からです。

いっそのこと自分で解決できたら、腰痛に対する不安はなくなりますよね。

といった思いから、自分で治せる人がどんどん増えたら、腰痛を撲滅できるだろうと思っています。

 

自分でゆがみ取りができる方法を多くの方に知っていただきたいと思って、ゆがみ取りを広める活動もしています。

 

施術を受けていただいた患者さまには、施術内容を細かく丁寧にお伝えし、ご納得いただき、安心していただくことを大切にしています。

 

腰痛は本当に辛いものです。患者さまの腰痛やお身体の健康をお守りの一手となり、ここに来れば安心と思っていただけるよう、寄り添った駆け込み寺のような僕でありたいと思っています。

 

長い文章をお読みいただきありがとうございました。

あかり接骨院 石川明人

 

当院では脊柱管狭窄症の方のためのスペシャルメニューを初回無料でご案内しております。
当院のメニューとご予約はこちらからご覧いただけます。

 

 

 

石川院長石川院長

あなたが脊柱管狭窄症の辛い症状から解放され、元気な日々を過ごしていただくことが僕の強い願いです!